舌足らずの詩人は

福地勇からあなたへ歌や病気など

僕は今五十歳なのだけれど、つまり昭和四十五年生まれなのだけれど、それは1970年、戦争が終わって25年後。

戦争の影すら感じる事なく、育った。
戦争は教科書の出来事だった。
でもこれは、何と言うか、

今から25年前、僕は25歳。
こう書きながら、にわかには信じられず、何度も指折り数え直す。

僕が生まれる25年前には、たくさんの人が戦争で死んでいたのだ。

25年前に、僕は25歳。

めまいのような、
ああ、目を閉じて、めまいのような、
涙すら流れ、

知らないとは思いますが、立原えりかという童話作家がいまして、その世界では有名な人。とてもメルヘンなので女の人が好きそうだから、
「僕は児童文学が好きです。」
「例えば誰とかあります?」
「立原えりかとか。」
「へえ・・・」
「とてもメルヘンで・・・」
「メルヘン、ねえ・・・」
「・・・」

これ以上の続行は不可能な会話。

「僕は児童文学が好きです。」
「例えば誰とかあります?」
小川未明とか。」
「へえ・・・」
「あの、赤いろうそくの・・・」
「ああ、ろうそくのね・・・」
「・・・」

こっちの方が後遺症が少ない。
いずれにせよ理解されぬのであれば、小川未明にしておくべきだ。実際、誰か一人を挙げるなら、僕はやはり小川未明と言う。
しかし昨夜、とてもとても久しぶりに立原さんを読んで驚いた。
突き抜けたメルヘンは、僕の精神に触れ、僕の神経は揺さぶられ、僕の目からはたくさん涙が出た。

次の不毛な会話には、立原えりかも入れようと思った。実際、僕は彼女の本を十二冊も持っている。

そういう事だから、そちらにも色々とあったことでしょう。何しろ十五年ではきかないわけだから。しかし、もうとっくに音信は途絶えているし、もはや生きているのか死んでいるのかすら分からない。
だから、これは独り言である。
今までに出会った人のうち、どの位の人が死んだだろう?とたまに思う。だいぶいるだろうな。三十年前に八十だった元植木屋の爺さんはほぼ間違いなかろうし、中学の社会科のお婆様も然り。実際に歳の近い友人も二人死んでいるのだから、まあ、だいぶいるだろう。
大病からの生還的な、生きているだけで儲けもの的な、だからと言って色々あるんだよ的な、そんな僕がやっぱりね的に死んだとて、それはやむを得ない。

あれから、実は色々あったのだよ。考えてもみたまえ。もう十五年ではきかないよ。そりゃあ五十歳にもなる。
病気をした、舌癌という、つまりガンだ。これはもうほとんど治ったけれど、癌というのはやはり大変だ。大人が泣くほどだ。これに就いては追々。多少後遺症は残るも。
しかし、病気が精神に何らかの作用を及ぼすのはどうやら本当らしく、ましてや僕は元来が内向的ゆえに、尚更その作用は強く働いたのかもしれない。つまり、僕は詩を書いているのだが、無論、昔から歌詞は書いてきたし、根本的には、要するに僕が書いているという点においては、両者は同じだ。しかし、旋律が制約しない分、いわゆる詩歌の方が精神に近づき易いかもしれない。
これもまた追々。ゆっくりと。
ひとまず、元気で生きておる。