舌足らずの詩人は

福地勇からあなたへ歌や病気など

立原えりかという童話作家がいまして、その世界では有名な人。とてもメルヘンなので女の人が好きそうだから、

「読書です。」

「どんなものを?」

「僕は児童文学が好きです。」

「例えば誰とか?」

「立原えりかとか。」

「へえ・・・」

「とてもメルヘンで・・・」

「ああ、メルヘンですな・・・」

「・・・」

 

これ以上は不可能。

 

「僕は児童文学が好きです。」

「例えば誰とか?」

小川未明とか。」

「へえ・・・」

「あの、赤いろうそくの・・・」

「ああ、ろうそくのね・・・」

「・・・」

 

まだいいでしょう。

 

いずれにせよ理解されぬのであれば、小川未明にしておくべきだ。実際、誰か一人を挙げるなら、僕はやはり小川未明と言う。実際、多分一番好きだから。

しかし昨夜、とてもとても久しぶりに立原さんを読んで驚いた。

突き抜けたメルヘンは、僕の精神に触れ、僕の神経は揺さぶられ、僕の目からはたくさん涙が出た。

 

次の不毛な会話には、立原えりかも入れようと思う。実際、僕は彼女の本を十二冊も持っている。

そういう事だから、そちらにも色々とあったことでしょう。何しろ十五年ではきかないわけだから。しかし、もうとっくに音信は途絶えているし、もはや生きているのか死んでいるのかすら分からない。

だから、これは独り言である。

今までに出会った人のうち、どの位の人が死んだだろう?と思う。だいぶいるだろう。三十年前に八十だった元植木屋の爺。中学の社会科の老婆と言って良い先生。無論、子どもの時に大人だったひとの多く。それから若かった知人。だいぶいるだろう。

だから大病からの生還的な、生きてるだけで儲けもの的な、だからと言って色々あるんだよ的な、そんな僕がやっぱりね的に死んだとて、それはやむを得ない。

ちょっとした企みもあり、またこれを再開するのだが、再開というより再出発といった心持ちであるので、過去のもの(これは驚くほど今の心境に一致しており)を今一度投稿するところから始めるのである。

あれから、実は色々あったのだよ。考えてもみたまえ。もう十五年ではきかないよ。そりゃあ五十歳にもなる。

病気をした、舌癌という、つまりガンだ。これはもうほとんど治ったけれど、癌というのはやはり大変だ。大人が泣くほどだ。これに就いては追々。多少後遺症は残るも。

しかし、病気が精神に何らかの作用を及ぼすのはどうやら本当らしく、ましてや僕は元来が内向的ゆえに、尚更その作用は強く働いたのかもしれない。つまり、僕は詩を書いているのだが、無論、昔から歌詞は書いてきたし、根本的には、要するに僕が書いているという点においては、両者は同じだ。しかし、旋律が制約しない分、いわゆる詩歌の方が精神に近づき易いかもしれない。

これもまた追々。ゆっくりと。

ひとまず、元気で生きておる。

芸術ってなんだろう?って考えちゃう。
生命を維持するためには必要のないもののように見える。本を読んでもお腹はふくれない。それなのに途絶えることなく、今日までずっと。これはどういうことなのかしら。

ここは原始時代。
「山の中の滝の下で魚がたくさん捕れるが熊がいるから気をつけろ」と仲間に伝えようと絵を描いた。絵がへたな場合、魚が採れないか熊に襲われるかのどちらかだ。当然、絵は上達していく。つまり、生命を維持していくために必要なものだったのだ。もちろん言葉もそうであり、音もしかりでしょ。

そういうものを見たり聞いたりすると、太古の記憶が、或いは本能が、刺激されるのだね。特に優れたものに触れると身の安全を感じ、それは喜びとなるわけです。
即ち、それが芸術と呼ばれ、それは生命を維持するために必要なものなのだと言えるのではないか、ということ。

去年の誕生日から、どれだけのことがあったろう。一年前に思い描いていたものとはずいぶん違っちゃったな。それでも一年は経過するのだね。年月とはとんでもなく冷酷で、またこの上なく有り難い。
そんな中、やっとの思いで詩集を刊行した。たった二十部。それが限界。だけどこれを形に出来たことは、ようやく一つ、安堵した。出来も悪くない。ずっと前から、これだけはやらねばならない仕事だったのだ。これが、誕生日に間に合ったから、この一年の帳尻を合わせられたと思える。こんなに誕生日を意識したことなんかなかったのに。
明日で52歳になる。おめでとう。
53歳までにもう一冊刊行する。それで打ち止めになってもかまわない。
そのくらい、今は自分が詩人であると。