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宮沢賢治の話をしよう。
これはあなたに聞いて欲しい話だ。
宮沢賢治。
多分日本の中で、一番有名な日本人だ。
でも何で?
教科書でしょう。あとはテレビ。「雨ニモマケズ」の乱発。
童話。
有名な幾つか。
ちゃんと読んだことはなくとも題名だけは。
でも何で?
それだけで、こんなにも。
本当に彼の童話は愛されているのだろうか?
彼の童話。
残酷で乱暴。
童話に残酷はままあるにしても、この乱暴さ。
彼は修羅だから。
「おれはひとりの修羅なのだ」
この修羅について、百万人が勝手な事を言う。
僕も言う。
彼は天才が過ぎた。
ほとばしる思いが、感情が、言葉が、
誰にも理解されない。
自分の言葉(心象スケッチ)に、なみなみならぬ自信があったはずだ。
そうでなければ、
自費で千部も刷りはない。
しかしそれは大抵の人にとって、
ほとんど異国の言葉に見えただろう。
自分の本当の仕事が分かっていて、
それをしているのに、
無視され続ける残酷。
それを彼は童話にした。
しかし、
あの心象スケッチでさえ、
「まことのことばはうしなはれ」ているのだとしたら、
彼の正体はどこにあるのだろう?
本当に、四次元か。
それはまあ、誰でもがそうであるように、彼の心の中にしかなかったのだろう。
だからそれはもはや、誰にも分からないのです。
そんな彼が死の間際に、
ただ手帳に、
こんな風に(天才として)生まれてこなければ、こんな苦悩はなかったんだ。だから、
「サウイフモノニワタシハナリタイ」
と記した、彼の気持ちを推し量ると、
僕は涙を禁じえないのだ。