舌足らずの詩人は

福地勇からあなたへ歌や病気など

『茂吉』の事を言ったから、短歌について。

短歌で一番有名な人、石川啄木
でしょうか、
「一握の砂」ね。


 東海の小島の磯の白砂に
 われ泣きぬれて
 蟹とたはむる

 たはむれに母を背負ひて
 そのあまり軽(かろ)きに泣きて
 三歩あゆまず

 はたらけど
 はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり
 ぢっと手を見る


教科書に載っていたのはこれとか。

めそめそしてますね。
中学当時、僕は石川啄木をしょぼくれた初老の男だと思っていました。
貧乏なしょぼくれ男の、いじけた、人生を悲観した歌だと、思っていたのです。

がしかし、


 大という字を百あまり
 砂に書き
 死ぬことをやめて帰り来たれり

 「さばかりの事に死ぬるや」
 「さばかりの事に生くるや」
 止せ止せ問答

 何(なに)となく汽車に乗りたく思ひしのみ
 汽車を下りしに
 ゆくところなし


あれ、若い。
若く、青い、
角が、ある。


 怒(いか)る時
 かならずひとつ鉢を割り
 九百九十九割りて死なまし

 死ぬことを
 持薬をのむがごとくにも
 我はおもへり心いためば

 死ね死ねと己(おのれ)を怒り
 もだしたる
 心の底の暗きむなしさ


ほら。
これはロックに取り憑かれた青年の叫び。

他にも、ピストルが出て来たり、愛犬の耳を切るだの、やたら死ぬだの。

そのくせ、


 不来方のお城の草に寝ころびて
 空に吸はれし
 十五の心

 かなしみといはばいふべき
 物の味
 我の嘗めしはあまりに早かり

 夜寝ても口笛吹きぬ
 口笛は
 十五の我の歌にしありけり


みずみずしく、
感傷的、
青春にどっぷりとひたり、
苦悩と悲しみの中、
若者らしい、

これが石川啄木の、
本当の姿だと、僕は思うのだ。
彼は26歳で死んでいる。

これを踏まえると、初めの三つの歌も、趣きが変わってくるでしょ。



僕が、一番好きな啄木の歌


 かなしきは
 飽くなき利己の一念を
 持てあましたる男にありけり

『字余りの茂吉』の真骨頂の『茂吉の字余り』

 湯いづる山の
 月の光は隈なくて
 枕べにおきししろがねの時計を照ら  
 す

(ゆいずるやまのつきのひかりはくまなくてまくらべにおきししろがねのとけいをてらす)

病気を持っていた茂吉が湯治を兼ねて温泉旅館に泊まった時の歌。だから「湯いづる山」である。


七、七、五、八、十二
さすがにこれはやり過ぎか。

でも、どうだい?
これ以上のバランスがあるだろうか?


つまり、
これについては少し長くなるけれど、

まず、
「湯いづる山の」
の七で、む、と身構える。しかし、

次に、
「月の光は隈なくて」
七五の定型が来て、ふ、と気が緩み、油断した所へ、

「枕べにおきししろがねの時計を照ら  
 す」
と引きずられる様に畳み掛けられる。

 静寂と光明と共に!

これはこの
七、七、五、八、十二
の効果に他ならないだろう。

どうだい?
これ以上のバランスがあるだろうか?


そこには、窓から差し込む月明かりに照らされて、まぶしいほどに光る時計が、あたかも僕の枕もとに置いてあるのである。

『茂吉の字余り』

 けだものは食もの恋ひて啼き居たり
 何といふやさしさぞこれは

(けだものはたべものこいてなきいた  
 り
 なにというやさしさぞこれは)


かっこいい。


でも実はこれ、
一文字字足らずなのだ。

だから本当は
『茂吉の字足らず』
なんだけど、

(なにというやさしさぞこれは)

の響き、リズム。
字足らず字余りを超越したテンポ。

そう、テンポなのだよ。

この歌全体を流れるテンポはロックに近い。

茂吉の事を言ったからには、やはり茂吉を語らねばなるまい。

 この夜は鳥獣魚介もしづかなれ
 未練もちてか行きかく行くわれも

(このよるはちょうじゅうぎょかいもしずかなれみれんもちてかゆきかくゆくわれも)

「か行きかく行く」とは「彷徨う」の事。

かっこいいでしょ?かっこいいのよ。
『茂吉の字余り』或いは、
『字余りの茂吉』なのである。

のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり

(のどあかきつばくらめふたつはりにいてたらちねのはははしにたもうなり)

斎藤茂吉の恐らく一番有名な歌だ。確か中学の教科書にもあった。

祖父が、僕が中学の時に死んで、葬式の為に田舎へ行った。親戚一同が集まる中、いとこのお兄ちゃんと、赤とんぼを獲っていた。それこそ無数の赤とんぼだった。

じいちゃんが死んで、赤とんぼを見上げ、僕は「ああ」と思った。

その時の心境と、茂吉のこの歌が、とても良く似ていた。

高村光太郎。一生を棒にふって人生に関与せよと言った人。吹きつのる雨風の中、圧倒的な美の前にひれ伏していた人。あり余る落ち葉を浴びていた人。火星を見上げていた人。妻を狂わせた人。たくさんの詩人の中で、僕が一番好きな人。

詩集を貸してくれたのは、唯一無二の親友。あれからおよそ三十年。僕は未だにこの詩集を返していない。